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【超長文】同性カップル10周年 〜2019年2月17日〜

長いですが、良かったら読んでくださいね^^


本日、僕は彼氏と付き合ってちょうど10年を迎えました。
これまで僕を支えてくれた彼氏と、僕たちを支えてくれた多くの人たちにお礼を申し上げます。


2019年2月14日、同性婚ができないのは違憲として日本の各地で同性婚訴訟が行われた。

『同性同士のカップルが結婚できないのは憲法が保障する結婚の自由や平等原則に違反するとして、東京都や埼玉県などに住む6組の同性カップルが14日、国に損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起した。札幌、名古屋、大阪の3地裁でも同日、7組のカップルが一斉に提訴する。同性婚が認められないことの違憲性を問う訴訟は初めて。』
ー引用:同性婚求め各地で一斉提訴 違憲性問う初訴訟、産経新聞(sankei.com→ https://www.google.co.jp/amp/s/www.sankei.com/affairs/amp/190214/afr1902140008-a.html


僕たちカップルも10年も付き合っているのだから、一般的には「結婚」を考えてもいいくらいの時期で、僕も「一般的」な家庭になりたいな、と思っていた。


僕の「初恋」
僕の10代は携帯電話もそこそこ普及してきて、みんなは当たり前のように「ガラケー」を持っていた。初めて買ったJ-PHONEがVodafone、Softbankに変わっていったのもその頃。

僕がゲイだと自認したのはおそらく6歳くらいの時だと思うんだけど、ちゃんとそうだと思ったのは12歳。中学生に上がってからは友だちを友だち以上の対象として見てる人がいた。

その感情が本当に恋だと認識したのは高校一年生の頃。小学六年生から始めたボランティア活動を高校でも継続するために、僕は進学した那覇高校でJRC部(青少年赤十字部)に入部。沖縄では県内のJRC部から構成される青少年赤十字高校協議会といって、県内の小中高に対してのボランティア啓発活動や募金活動・福祉施設での福祉体験活動の企画運営をしていた。
この協議会の構成には当然他校も入っていたんだけど、僕の初恋は一つ上の他校の先輩だった。

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名前はこうちゃん。先輩にも関わらず、◯◯先輩!とか呼ぶの何となく嫌で、ちゃん付けで呼んでた。笑
僕が高校二年生になった時、その協議会の会長になった。こうちゃんは副会長。

一緒に活動していると恋愛経験の乏しいこうちゃんが可愛くて可愛くてしょうがなくなって、毎日朝から晩までメールとかしていると次第に好きになっちゃったんだよね。

「もし僕が女だったらこうちゃんと付き合いたいって思うくらい好きだよ!」って告白しちゃった!

こうちゃんの返事は

「告白されたの初めて!嬉しいよ、ありがとうね!」

僕はとても嬉しくなっちゃった。

でも男と男が付き合うのは変だ、と思いつつも好きなもんは好きなんだからしょうがない、って思うようになり、失恋とは思ってないけど、モヤモヤはずっとあった。

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実は僕が告白する半年くらい前に、女性(まなみ)から告白されて、まぁいいか、って思って付き合ったことはあるんだけど、僕は手をつなぐだけで精一杯で一緒に帰って別れるバス停で思いっきり泣いてしまった。

まなみも僕の2つ上の先輩で、ボランティアを一緒にしていた人だったんだけど、僕が泣いてしまった時、どうやら僕が会長になったことで精神的に病んでたんだと思ってたみたい。

「何でこうも泣くほど辛くなる前に相談してくれないの!?」

確かにそうだ。彼女なんだからちゃんと話さないと…。とは思いつつも心の中にはまなみが恋愛の対象とはなっていなく、これからもならないと感じて、そこで初めて女性とは無理だな、なんて思った。

ちなみに何のイタズラかわからないけど、こうちゃんとまなみは今から10年くらい前に結婚して、子どももいる。なんか複雑よね。笑

僕の初彼氏は
高校三年生の頃、協議会やらそのほかのボランティアやらの引き継ぎで、本当は引退した後なんだけど、後輩たちの手伝いとかを色々としていて、その後輩の中にこれまた恋愛経験の乏しいかずひろがいた。

この子はどこか頼りなくちょっと抜けているような感じの子で、一番育てなきゃいけないな、って感覚があって面倒とか見てたんだけど、そのうち勝手にこっちが好きになっちゃって。

同じボランティア仲間も一緒に遊んだりすることも多かったんだけど、2人っきりで遊ぶことも多かった。

ノリと勢い的なノリでその子のおちんちんとか触ったりしていて、最初は嫌がっていたけど嫌がるそぶりもどんどんなくなり。

これまたノリと勢いで脱がしても最初は嫌がっていたけど次第に嫌がらなくなり。そのままエッチなことになっちゃって、最初はいやがって…(ry

まさか初めての相手が男だってことで、最初はなんだか傷ついていたけど、いつのまにか向こうもそれが当たり前になってていつの間にかお互いが「彼氏」と認識してた。

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初彼氏との別れ
学生時代はボランティアばかりで、イベントがある時は公欠で学校休むこともかなり多く、高校時代はまともに勉強はしてこなかった。

それでも内申はそんなに悪くなかったから大学にもいけたんだけど、センター試験が面倒(その頃かずひろと付き合ってたから勉強で会えなくなるのが嫌だった)で指定校推薦に逃げた。理数系の僕だったから、とりあえず名古屋の名城大学数学科の枠がまだ空いていて、申し込み締め切りが今日って先生に言われた日に突然親に言って突然受験してそのまま受かっちゃった。

親には何も相談もせず受験して沖縄から出て行っちゃうもんだから、寂しい想いはさせたろうな。まさか僕が沖縄から出て行くなんて思ってなかったと思う。

僕が生まれる前に父親は亡くなっていて、お母さんと父方のおばあちゃんと僕の3名で住んでて、僕が沖縄から出てからはいわゆる嫁姑の2人だけで今でも住んでる。なかなか複雑な感じだけど、だからこそ僕が出て行くとは夢にも思わなかったと思う。それは僕も感じていること。

かずひろと付き合ってたことはとても楽しかったし嬉しかったし、でも沖縄でゲイは僕しかいないんじゃないか?って思ってからは沖縄にいたくないって思っていてもたってもいられなくなり、まさにそれが指定校の枠の締切日だった。

本当は東京だと新宿二丁目という有名な場所があるから東京に行きたいって思ってたけど、まぁ沖縄から出れば何かが変わるかな、と思い安直な考えで名古屋。

このあまりにも急展開すぎる内容をかずひろにも伝えたけど、特に反対はされなかった。というか、もう僕はこれで決めたから、って感じで話した。

それからというもの、一緒に思い出作りじゃないけど、家が近かったこともあり、お正月以外はほぼ毎日会っていた。この時すでに運転免許も持ってたから、ドライブもたくさん行った。

買い物行ったり星がよく見える夜の公園に行ったり。人がいないところでは手をつないだりチューしたり。
その時気づかなかったけれど今思うととっても幸せだったなって感じてる。

かずひろとの別れは3月30日。僕は翌日から大学生。
この日から名古屋に行かないといけなかったんだけど、かずひろが春休みに静岡で開催された全国ボランティア研修に参加していて、3月30日は羽田から沖縄に戻ってくることになっていた。だけどそのあと沖縄で会ってたらお互い時間がないから、僕は名古屋に行く前に羽田に飛んだ。

親に何と説得したか覚えてないけど、僕は適当に最もらしい理由をつけて名古屋に飛ばずに羽田へ。今思うとよく許してくれたよね。

羽田で搭乗手続き前のかずひろと会えて、2時間くらいおしゃべりとかした。

「そろそろお別れだね」

僕がそう言うとかずひろは目に涙を浮かべた。必死に涙をこらえてるのがわかった。

僕だって泣きたかったけど人目がある中で男同士のお別れって多分変だよね?と感じた僕は2で個室のトイレに行った。

「寂しいじゃんかよ」

そう僕が言うと堪えてた涙は止まらなくなり、目が真っ赤になる程2人で泣いた。2度と会えなくなるわけではないけど、毎日会っていた人と明日からは会えないんだって思うと一生の別れとなるくらい重かった。

僕らは、最後に、長く熱いキスをした。

その後かずひろと遠距離になったこともあって色々とすれ違いがあり喧嘩しちゃってそのまま喧嘩別れ。
本当に一生の別れになってしまった…。

結局東京へ
名古屋での大学生活はとても忙しかった。

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うちは貧乏ってほどではないけど、決して裕福ではなかったから大学の学費は自分で稼ごうって思って、昼間は大学、深夜の牛丼屋でアルバイトをしていた。

僕がその大学に決めたのはもう一つ理由があって、名城大学は教員免許も取得できるということ。高校時代、学校が楽しかったって感覚はあまりないんだけど、高校生にボランティアの楽しさを伝えるため、高校の先生になりたいなって思ってた。高校生くらいの子が恋愛対象だったってこともあったけど。笑

大学行ったからには一生懸命頑張って立派な教員になろうって目標も持った。

でもね…大学二年の頃、数学科の中で偉い教授が授業で、「これがわからないやつなんてこの大学にいないよな?」と超イヤミ満載の言い方をしてきて。

立派な教員になりたいって思って毎日の睡眠が2〜4時間だったけど自立のためにフラフラになりながらも頑張ってたのに、僕にはそのたった一言が心に突き刺さり、一瞬で夢も希望も壊れた。

ここにいても立派な教員にはなれないな、と…。僕が弱いだけだと思うけど、僕はもう無理と思い、二十歳の誕生日に退学届を出した。

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深夜のアルバイトはやっぱりお金稼げるね。
毎月普通に20万とか稼げてて大卒の初任給以上はもらってた。

辛い思いして大学生活を送るより十分に生活できるんだからもうアルバイトでいいじゃんって思って僕はフリーターになった。

どうせ働くならもっと稼ぎたいと思い、念願の東京へ。東京の知識なんてあまりなかったから住宅街と知ってる練馬に引っ越した。

出会いは共通の友だちつながり
2009年、僕は移籍手続きで異動した牛丼屋で働いていた。

昔からそうだったんだけど、僕は基本的にネガティヴで何かで悩みだすと長いこと引きずっちゃう性格だった。悩みを持つ暇がないくらい忙しいのが僕には丁度よく、ほぼ毎日残業もして15時間の連勤とか当たり前の毎日。

そんな忙しい毎日を自分で演出していたんだけど、水曜日は休みだったため、毎週火曜日の夜からはフリー。
名古屋の時から始めたチャットで知り合った人が2丁目のとあるお店の定休日を利用して箱借りして1日だけ違うお店のバーのママをやってたんだけど、そこに通い始めた。

毎週のように通い出したそのお店での2009年2月17日。当時はSNS等の手段で拡散の手段が希薄だったこともあり、お客さんは僕1人。

店子さんとも仲良くなってて、僕1人だったこともあり、僕がカウンターに入って店子さんが外に出て臨時の店子体験?をしてた時に、ママの知り合い(正確にはママの元彼)から遊びに来てと言われててたまたま遊びに来てくれたその日のお客さん第2号。

その人が店に入ってきた時、僕がカウンターの中にいてホゲたような声で

「いらっしゃいませ〜⤴︎」

って僕が言ってたもんだから僕のこと店子だと勘違いしてた笑

僕はカウンターから出て一緒に飲み出したんだけど、意気投合!
チュッチュしながら程お互いよく酔っていた笑

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ちなみにその人は前の彼氏と別れたばかりだけど住む家がなく(実家には帰るつもりはなく)仕方なく元彼と一緒に住んでいた。

そんなこともあり、酔ってた僕らは閉店が夜中だったので一緒に僕の家に帰った。
その後は一部省略。笑

朝、その人は仕事があると言うことでお弁当だけ作ってあげて仕事に送り出した。僕らはお互いの合意のもと初めて出会った日だけど2月17日を付き合った日とした。

3番目の彼氏ができた。
(実はその2ヶ月前にそのお店で出会った人で彼氏になった人がいたんだけど、2週間でフラれていた)

そして彼氏は元彼の家に住んでいたこともあって、荷物をまとめて僕の家に来て、同棲が始まった。

東京プライドでの活動
彼氏と付き合う1年前、東京でプライドパレードが開催されていたことを知り、その運営団体の連絡先を探し、ここでボランティアをしたいと連絡をし、活動を始めていたばかり。

彼氏に出会った時はイベントの開催にあたって営業活動をし始めた頃だった。
もちろんその活動のことは彼氏にも伝えていて当時から応援してくれていた。

ちょうどその頃、僕がアルバイトしていた牛丼屋は店長と喧嘩したこともあり、突発で辞めていた。

同棲生活は始まっていたんだけど仕事を探しながらのボランティア。これまでたっぷり働いていたから貯金はそこそこあったので、東京プライドのイベントが一旦落ち着くまでは無職だった。

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東京プライドでの最初のボランティアは、ハートをつなごうとのコラボで、東京プライドフェスティバルの開催。
公開収録も行われ、そこに僕もテレビでは顔出しはしなかったものの、その公開収録にボランティア代表として参加した。

僕はその公開収録で、未だカミングアウトできていないお母さんへこんなメッセージを読み上げた。

ハートをつなごうでのメッセージ「大切なお母さんへ」
(公開収録で読み上げた全文)


大切なお母さんへ1
(クリックして拡大)
大切なお母さんへ

 自分の気持ちをしっかりまとめるために、似合わないけど手紙を書いてみました。

 多分、高校3年生の時に毎日のように家に彼氏を連れて来たり、お母さんが結婚の話を全くしなくなったり、「この子は恋愛とかに興味ないから」と近所の人に話しているのを聞いて、僕というのに気付いていたかもしれません。

 僕は昔から、男の人が好きな男の人です。それはゲイといわれ、性的マイノリティといわれ、僕はそうです。

 周りの男の人は女の人を好きになっていましたが、男の人を好きになることは、僕には自然なことでした。好きになる対象のことで疑問を感じたことはありません。だけど 男の人を好きになるのは女の人 っていう考えが昔は頭のどこかにあって、「じゃあ、男の人を好きになる僕は女?男?」と自分の性について揺らいでいました。性は2種類しかないんだなんて、小さい頃は習ったわけではなく勝手に認識をしていて、僕は周りとやっぱり違うんだ なんて考えたり。。。
大切なお母さんへ2
(クリックして拡大)
 実は沖縄を出て一人暮らしを始めた頃、僕と似たことを考えていた人に出会いました。その時初めてテレビでもネットでもなく、リアルな形でその人に会い、僕は変じゃないんだって思えました。

 最初に高校生の頃に彼氏がいたと言いましたが、その時は自分の性に揺らいでいたけれど、男の人を好きになるという気持ちだけは押さえられず、告白して付き合ってくれました。そういや高校時代は2回失恋していたっけ。。。

 実は今、性的マイノリティの人たちのグループの中にいて、昔から好きだったボランティア活動を、今度は自分らしく、男の人を好きだということを隠すことをせず活動しています。そしてそれを理解し、僕を支えてくれる、大切な彼氏もいます。毎日が本当に幸せに生きています。昔悩んだことはあったけれど、それを乗り越えて今の幸せがあるって思っています。そして、今まで伝えきれなかった この幸せ は一番お母さんに伝えたい。

 こんな話を改めてされると、とても驚いただろうけど、お母さんは何も悪くないよ。誰も悪くないと思う。統計では学校のクラスに1人はいる計算だし。
大切なお母さんへ3
(クリックして拡大)
 ただ、お父さんがいなくて、一人息子の僕としては、お母さんに孫の顔を見せられないのは本当に申し訳ないと思います。

 そして、本当はお母さんに会って、きちんと話をしなきゃと思って沖縄に帰省したけれど、言えませんでした。先に伝えなきゃいけないのに、こんな形で話してしまってごめんなさい。すごくわがままな僕なんだけど、幸せをたくさん感じながら今生きているのは、やっぱりお母さんのおかげだと思う。本当にありがとう。

 僕は一人の、ゲイとしての活動家として、これからを生きていきたいって思っています。


 次 会うときに ゆっくり話を聞いてくれますか?


彼氏との誓い
僕は毎日が幸せだった。この人と一生一緒にいたいと思った。

ネガティブな僕は何度も彼氏に聞いた。

「僕を振ったりしない?」

「僕のこと好き?」

「嫌いになったりしない?」

『僕の勝手な不安』は彼氏には耳タコだったかもしれない。何回もされる『確認』に鬱陶しかったかもしれない。

でも彼氏は

「振るわけないじゃん!だからもうそういうことは聞かないで?」

僕が振ることもまずないので、その言葉を信じてもう聞かないことにした。

2人がおじいちゃんになってもずっと一緒にいようね、って誓った。

僕の転職活動
2009年11月。

たくさんあった貯金はとっくに底をついていて、家賃が払えなくなり大家さんが家に来ちゃうということまでおきていた。

流石に仕事しなきゃ…。僕は家の近くのパソコンショップで近いからという理由でアルバイトを始めた。

パソコンは好きだったので、すぐに仕事にも馴染めたし、すぐにリーダー的な立場になった。

店長からの勧めもあり、ずっとアルバイトのままではいけないという思いもあったので、僕は契約社員になる試験を受けた。
アルバイト開始後3ヶ月でその試験資格もあったからすぐに受けたんだけど、1回目は見事に落ちた。

でも夏の試験では合格。そのまま来年の3月には正社員になれた。

当然正社員になると引越しを伴う異動も発生する。

職位が店舗マネージャーになった頃に、僕は副店長候補ということで茨城県ひたちなか市に移動を命ぜられた。

茨城への引越しって簡単に言わないで!
茨城に異動…。

正社員なんだから、とても重要な理由でない限り異動を拒むことなどできない。当然マネージャーという職位もあったため、拒否したら降格させられるんじゃないか、そんな不安があった。

「また異動になっちゃった…」

「ん?今度はどこ?」

実は僕はその時すでに3店舗で異動していた。降格ではなく昇格での異動。

「茨城…」

茨城に移動するとなると、当然東京ほど交通網が発達してるわけでもないし、電車はあるけど駅までは距離がある。車がないと生活に支障をきたす…。困った…。

そんな不安よりも大きかったのは、これがキッカケで別れることになるんじゃないかな…。と。

異動を言われる2日前に彼氏の住民票を実家から2人の家に移したばっかりだった。そんな中での異動…。

「まぁ仕方ないね」

そう言って彼氏は僕についてきてくれることを決意。

ただ、これまで僕の転勤ペースと、茨城に移動した後の次の異動のことを考えると間違いなく引越しを伴うこともあり、彼氏には専業主夫として家に入ってもらうことに決めた。

お互いに友だちもいない地に引越しになっちゃうし、僕が仕事に行ってる間彼氏は異国の地の家でひとりぼっちになるので、ネコを飼うことにした。

ネコも寂しくないように2匹。

そもそも引越しを伴う異動にも関わらず移動日の2週間前に言われるもんだから、そもそも何か迷ってる暇もない。

引越し後すぐに働けるようにと、僕は異動先に挨拶に行ったその足で家も決めて中古車を購入した。

その日は僕の誕生日だった。
わざわざ誕生日の日に行かなくても…とは思いつつも異動直前なんだから仕方ない。

ネコも里親募集のサイトから生まれたばかりのメスネコを譲り受けて、いざ茨城へ。

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茨城について落ち着いた頃、また里親募集からオスネコを譲り受けた。

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2人と2匹の新たな生活が始まった。

東京レインボープライドでのボランティア
東京に出る前、彼氏と出会う前にブログで知り合った人と東京レインボープライドに遊びに行った。

僕が遊びに行った時は中村中さんがフイナーレで歌ってたんだけど、最後のコーラスは会場が一丸となって盛り上がった。

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東京プライドはなくなっちゃって、もう東京ではパレードはないんだろうなって思ってた時に東京レインボープライドの存在を知り、まずは遊びに行ったんだけど、その翌年から運営に関わりたいと決意。
そんな矢先に茨城だったからどうしようかな?って思ってたけど、茨城から通ってでもボランティアに行ってた。
わざわざ100キロを超える距離を移動してまで通ってた。

そんな生活もしながら仕事も着実に成果を出して、気づけば神栖への移動も経て僕は店長にまで上り詰めてた。

東京にやはり戻ろう
「店長として1年は勤めようね。」

僕は副店長時代、店長にそう言われていた。

「店長として1年働けば、もし転職とかした時もちゃんと実績はできるから」

そう言われてたこともあって、1年間はしっかりと店長として働いた。ただ、茨城から東京まで通ってボランティアをしているのもだんだんと辛くなり、生活もあるしお金のことを考えるとそのまま働いていた方がずっといいのもわかるんだけど、

僕は東京レインボープライドでのボランティアを継続してパレードの運営に関わりたいっていう思いの方が強く、思い切って仕事を辞めて東京へ引っ越すことを決意する。

当然東京でネコ2匹もいてペット可の物件を探すのは大変だし家賃も高いし、せっかくローンを払い終えた車を手放すのも嫌だし、でも東京に戻りたいという僕のわがままで東京行きは決定。

彼氏には専業主夫をやめて一緒に働いてもらうようお願いをした。

本当に僕はわがままばかり。
それでもついてきてくれてありがとうね。

僕は東京に戻り本格的に東京レインボープライドで活動を行うようになった。
東京での僕の職探しは、昔突発で辞めた経緯もあったからどうだろうと思いつつも、働くのが楽しかった牛丼屋に再入店。
昔働いてたこともあり1週間でリーダー的なポジションまで登った。

ただ家の家賃は高かったから深夜働いて、昼間は東京レインボープライドの活動。
なんだか学生時代に戻ったみたい。
それでも自分が選んだ道だから頑張って働いて活動もした。

今はあまりにも仲間たちとの時間が合わなすぎて、昼間の仕事に戻したけど。

10周年記念旅行
僕は今まで一番北では青森(八戸)までしか行ったことがなかったので、10周年記念は冬ということもあって札幌に旅行に行ってきた。

本当は記念日の今日に行きたかったんだけど、どうせ行くなら札幌雪まつりに、ってこともあって1週間はやめた先週3泊4日で行ってきました。

目的は温泉、スキー、雪まつり!!

僕たちが行った時期、北海道では過去最強クラスの記録的寒波がくる予定になっていて、特に9日の金曜日は札幌でも最高気温が-11℃とまさに極寒だった。

東京でも「今日は寒くて手が痛いね」ってことはたまにあったけど、そんなの比じゃなかった。手の機能停止。足の感覚麻痺。顔の凍る直前。そんな感覚だった。

札幌ではツアーとかではなく、ただ温泉旅館とレンタカーを借りただけのフリープランだったから、あえて寒い日に雪まつりには行くことにした。

札幌到着1日目
すでに空から見える景色も当然ながら銀世界。雪がこんなにあるの見るのは5年くらい前の軽井沢以来。

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こんな雪道を僕は果たしてしっかり運転できるのだろうか?と思いつつも、電車での移動は面倒だったため、レンタカー会社へ。

レンタカー会社もラベンダー店となかなかのネーミング。

札幌の道は通行帯はしっかり除雪されていたから走りにくいことはなかった。ただ至る所で2車線道路の左側が雪で埋まって1車線になっていた。まぁこの雪の量だから雪をどかす場所もないんだろうね。笑

札幌の信号機は縦🚦のが多くてビックリした。恐らく雪が乗って見えなくなったり雪の重みで折れることがないようにだろう。

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レンタカーで走ること1時間。
空港から南西側、札幌市南区にある定山渓温泉、鹿の湯に着いた。
この日は特にどこか行こうと決めてはいなかったのでとりあえず温泉でゆっくりしたいな、と。
体を洗って温泉に入る。そして露天風呂に行く。

普段だったら僕には暑すぎる温泉の温度だったけど、外は氷点下。入らずにはいられない。温泉にゆっくり浸かってると、気づいたら濡れた髪の毛は凍ってた。

髪の毛が凍るなんてあるの!!?
そんな体験もできたのは沖縄の人間にしたらとても貴重。札幌に来て良かった!

2日目
この日はスキーに行こうと決めていた。

スキーの腕前は、僕が中級手前、彼氏が初級って感じかな。
沖縄の人間が彼氏にスキーを教えるのも変だよね。笑

僕はリフトに乗って上から滑ってみたかったけど、彼氏は怖いっていうから初級コースをずっと滑ってた。

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スキー場では転ばなかったんだけど、スキー靴を履いてトイレ行ったらトイレのタイルがよく滑ること。そこで僕は大転倒。お尻強打。

どこで転んでんねん!!笑

合計3時間くらい滑って満足してスキー場から帰る。帰りに寄ったコンビニの入り口でまた転んでお尻を強打。この日はとことんついてなかった。怪我しなかっだけ良かったとしよう…。

3日目
昔から行ってみたかった雪まつり。
朝からずっと−10℃を下回ってた。

ズボンと靴下を二重に履こうと思ってたのにホテルから出た時にそのままだったのに気づいた。まぁいいや…。

雪まつり会場に着く頃には-11℃。やっぱり二重にしておけばよかった…。超寒い。
レッグウォーマーや手袋、ホッカイロがこんなにまでも重宝するとは思わなかった。

せっかく北海道に来たんだから海鮮を食べなきゃね!贅沢に2人で6000円の海鮮丼を食べた。寒いこともあってネタは引き締まってるし分厚いし、とても美味しかった。

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そのあとテレビ塔へ。
ここは札幌レインボープライドの時に虹色にライトアップされていたとこだ、と思いせっかくだから雪まつり会場を一望できると展望台へ。

地上90メートルから見る景色はとても良かった。雪ってなんでこんなに人を感動させる表情をしてるんだろう。雪国の人からすると見飽きた景色かもしれない。でも雪って凄い。

東京に降る雪と大きく違うのは、雪のサラサラ感。ベトってした雪ではなく、風ですぐ舞ってしまうような感じ。これが本当の雪なんだろうな、と感じた。

テレビ塔では期間限定で展望台から階段で降りてみよう!みたいなイベントをしていた。階段は塔の外側。なんでわざわざこんな寒い日に階段?って思ったけど、寒いからこそわざわざ階段で降りてみた。

高所恐怖症の2人なのにわざわざ下が見える鉄骨むき出しの階段。風と寒さもあって怖さ倍増。そんな外階段の中間地点。まさに空中なんだけど、そこにスタッフがいて
「中間地点です、頑張ってくださいー」って声かけてもらった。

いやいや、あなたの方が頑張ってください!ですよ笑
自然とそうお喋りしちゃった。すごいね、こんなとこまで働くことあるんだ。僕なら時給3000円じゃないと働きたくないような環境。強いね、札幌女子!

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下まで降りる頃には結構ヘトヘト。足の感覚はすでになく、ここからはひたすら我慢。
雪まつり大通会場は全部で12エリアあるから意地でも全部回った!

ところどころ無料休憩所があるのは本当にありがたい。ないと全部回れない。

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札幌は初音ミクの誕生の地なのかな?
雪ミクがあちこちに石像であった。
現代らしくAR技術を使った雪ミクのショーとかもあって面白かった。

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焼きたての串焼きを買ったんだけど、すぐに冷たくなる。本当に冷凍庫よねー。それ以下かも。

雪国ならではの雪まつり。今年は全体で270万人の人が来場したそう。来てよかった。とても満足。

これからもよろしくね!
どんな状況でもしっかりとついてきてくれる彼氏は、僕の中ではすでに家族の存在。一緒に過ごしてる時間だけで言えば、もう親との時間をも越してるんじゃないかな?とも思ってきてる。

人生の1/3は一緒にいる。

寝る時もそばにいる。

そりゃ喧嘩もすることもあるし、過去には大喧嘩の末、僕が冷蔵庫を倒して横が凹んでしまったり、壁に携帯を投げつけて壁に穴空いたり携帯も壊れたりすることもあった。かかと落とししてベッドを破壊したこともある。

なんだかんだありつつも今日で早10年。

この10年の間にLGBTという言葉は広く知られるようになり、
パートナーシップの制度も各地で広まり、
今同性婚に関しても動き出した。

僕らは彼氏という感覚よりも家族という存在の方が強くなっているけど、これからも山あり谷あり、決してまっすぐな道ではないその先を、僕らは一緒に歩んでいきたいと思っている。

一緒にいてくれて本当にありがとう。
これからもよろしくね


いつか僕らの関係が正式な家族となれる日を、
そう遠くないであろう未来を、
一緒に見ていきましょう。


2019年2月17日
伊芸祐輝
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僕の18年間

久しぶりにblogでも書こうかな、と思い筆を手に取る。
今31歳。間も無く彼氏と付き合って10年になるんだけど(人生の1/3一緒にいる)、
僕って幸せなのかもはやわからなくなってきてる。
だってさ、これだけ長く一緒にいれば彼氏というより家族だし、
僕は一人っ子だから、今は兄弟ができて兄弟喧嘩をしてるような感覚なのよ。いつも。
彼氏いるだけ羨ましいって言われるけど、
自分が想像している彼氏って感覚とは全然違うよね。
長く付き合うってこういうもんなのかな。
僕がボランティア始めたのは11歳の頃。
本格的に継続活動しだしたのは13歳だから18年になるんだけど、
その頃から忙しい自分が好きというか、自分の性に揺らいでた頃だから忙しくして悩みを忘れようとしてたっていうのもあるのかもしれないけど、
中学で一番早く学校に着いて、学校が開いたらみんなが通る廊下をピカピカにするとか、全部の花壇に水やりをしてあいさつ運動を友だちと2人で始めたんだよね。
試験の日以外の学校のある日はいっつもそうしてた。
高校に入ってからは学校が終わったら赤十字のボランティアをやってて、活動やらミーティングやら、実行委員長とか会長とか兼任してたからミーティングの準備やらで、親が寝てから帰ることもあって、「最近あんたの顔見てないよ」とか言われたりもした。
大学は中退しちゃったけど、在学中は朝昼は大学、夜ちょっと寝て深夜バイトって生活をしてて、今考えるとよく生きてたなって思うけど、そんな生活をしてた。
深夜バイトが結構稼げたこともあったし、大学の教授に嫌気がさして大学を中退してからは、バイトを入れまくって、15時勤務とかばっかしてた。
店長よりバイトの僕の給料が多かったからね笑
ほんで東京に出てきてから今の彼氏と出会ったわけだけど、
色々あってバイトは辞めて、人生初ニートを3ヶ月くらいやった。
流石に貯金使い果たしてヤバかったから、別のところでバイト始めて、そこで社員になって、異動があって、店長まで登りつめて。
異動になった頃からTRP(東京レインボープライド)に関わり始めたんだけど、流石に茨城から通っての活動はしんどかった。笑
そこの会社も給料は良かったけど、TRPを本格的にやろうと思って、仕事辞めて東京へ。
東京の家賃は茨城の2倍もするもんだから、来た頃は親や友だちにも借金をして引っ越したし、返済のために死に物狂いで働いたよね。もちろんTRPはやりながら。
今もたいして変わってないし、14時間勤務とか週に3、4回とかはやってる。
さて、何が言いたいかっていうと、
この18年間、こんな感じでずっと走り続けてきたけど、
誰かと何かして遊ぶっていう時間は、みんなよりも大分少なかったし、
ボランティアで出会った仲間がたくさんいて、その人たちと一緒にいる時間が多かったからとても楽しかったのよ。
今でも仲間はたくさんいるから活動自体はとても充実しているんだけど、
働いている時間1人のことが多くて、虚しさを覚える時間が増えちゃった。
僕のトキは中学生から止まってて友だちと遊ぶとか、友だちのことを友だちというのもできないくらいになってて、
どうやって失った時間を取り戻そうか悩み中…。
飲み友だちとかたくさん欲しいし、自分の人生楽しかったと思えるように、今からでも取り戻せるかな。
遊びたいよ。

30歳の誕生日

今日は僕の30歳の誕生日。

とうとう三十路です。


20歳の誕生日から10年。
物凄くバタバタで濃い10年でした。

覚えている限りで振り返ってみます。
記憶を頼りなので間違っているかもしれませんが、暇な方は過去記事から答え合わせしてみてください笑


2007年6月19日
20歳の誕生日。
当時は愛知県名古屋市天白区に住んでいました。
この日は飲食店のバイト仲間から手作りケーキでお祝いをしてもらいました。



当時片思いしていた人も一緒にカラオケに行って幸せだったことを覚えています。
絶対その人の隣に座ったし、
酔ったことをいいことに、一緒のベッドに寝たり、
チューをねだってしてもらったり❤️(※ノンケです)



2008年6月11日(20歳)
名古屋を離れ、東京に引っ越します。



恋愛的な感情に色々あり、忘れるために東京に。
東京に出れば2丁目もあるし、新たな出会いがあるかなーなんて期待を持ちつつ。

東京に出て来たことは失敗だとは思っていません!





2009年2月17日~18日(21歳)
新宿2丁目のとあるお店で今の彼氏と出会います。



飲みで意気投合して、初めて会った日とエッチした日と一緒に住むようになった日が同じなのであります笑

その後の僕の引越しにもついて来てくれる優しい彼氏さんなのです。



2009年5月27日(21歳)
東京でのLGBTイベントでのボランティア開始!
第1回東京プライドフェスティバル




NHKハートをつなごうの公開収録も行い、
ボランティア代表として収録に参加し、母への手紙を読み上げました。





本当はこの収録の後に親にカミングアウトしたいなって思っていましたが
結局できませんでした。
しかしこの頃くらいからかな?
これまでずっと結婚の話を僕にしてきていたんですが、
結婚のことを口にしなくなりました。
恐らく気づいてはいるんでしょうね。



2010年8月14日(23歳)
人生初のパレードに参加します。
東京プライドパレード。

先頭で代表らと一緒に横断幕を持って歩きましたが、
歩いていると沿道で応援してくれる人たちが手を振ってくれて、
パレードの魅力にのめり込んでいきます。

僕はパレードに関わっていきたい!って思い、
パレードへの関わりを続けて行くことを誓いました。



2010年11月(23歳)
転職。

前働いていた飲食店は2月くらいで辞め、
ようやく仕事に就きます。

アルバイト→2011年8月(24歳)には正社員にもなりました。





2011年3月11日(23歳)
東日本大震災

人生で初めての大きな地震を体験しました。

練馬に住んでいましたが、震度5強の揺れが3分ほど続き、本当に怖かった。

前日に部屋に敷くカーペットを買い、地震の10分くらい前に敷き終わり、
コーヒーをコップになみなみ入れて、さぁゆっくりしよう、とゴロゴロしていたら地震が起きました。
買ったばかりのカーペットは5分もしないうちにコーヒーのシミだらけ。
プリンターは棚から落ちるし、ありとあらゆる引き出しは飛び出て、
部屋の窓ガラスは割れ、積み上げていた荷物は崩れ散らかり、
アパートの壁には亀裂が入り。
近くの家電屋さんではスプリンクラーが誤作動し消化剤が道路にまで飛散。

何度も余震が来たりで、本当に怖かったです。



2013年4月28日(25歳)
東京レインボープライド参加

今僕が所属している団体に初めて参加しました。
この時はボランティアでもなく一般の参加者として参加し、パレードに歩きました。

この時まで東京でパレードが復活していることを知らず、
開催直前に知った為、急いで参加を決め、参加して来ました!

パレードのボランティアをまた始めようと来年からはボランティアで関わるようになります。



2013年6月27日(26歳)
転勤が決まり、茨城県ひたちなか市へ引越し。

東京から益々離れてしまいました…
翌年の3月には副店長に昇格しました。



つづく…?

東京レインボープライド2017開幕

始まりました!!

東京レインボープライド2017


本日はその開幕イベント、
東京レインボープライド2017 オープニングレセプションが行われました!!


「ゲイという言葉を大切に生きていきたい」声優・三ツ矢雄二さん、カミングアウトの経緯を語る。


乾杯の挨拶は!三ツ矢さん。

みんなは「タッチ」っていうけど、僕的には「キテレツ大百科」のトンガリ!

お話も大変素晴らしかったです!!


そして何と言っても、僕の大好きな中村中さんもライブを行って頂きました!


いやー、なつかしいなぁ!
東京レインボープライドのイベントに来ていたのがもう3年前。

それだけ月日は早く流れているってことを実感しました。

あの頃は友だちと一緒にパレードに参加するだけの参加者だったのに、気がつけばパレードの部門長の位置まで来ました!


それだけ、僕の人生に影響を与えたのは、今の中村中さん。


僕はもっともっと頑張っていかなければ行けないな、と月日の流れを見ながら思いました。

東京レインボープライド2017

もうあと41日しかありません…。

今年は去年よりもよりコアな部分に関わってます。
パレード担当です!


すでにパンクしそう笑


今年のパレードは去年よりも多くの方が歩く見込みで、
東京でのパレードも盛り上がって来ましたね!


メディアでももっともっと取り上げられて、
多様性を楽しめるイベントになればいいなぁと思っています!

今から楽しみの反面、タスクの多さにいっぱいいっぱいなりそうですが!!


多分、終わったら泣いてるだろうなぁ笑


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